商品番号 SA-0015
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
道明寺・誉田の戦いを再現して飾る 専用ケースと立札
『大坂夏の陣』における道明寺・誉田の戦いを再現し、伊達・真田をセットで展示できる専用ケースです。
▼≪対象製品≫ こちら2製品を飾る、専用ケースです。 ※製品は別途お求めください。
商品番号 SA-0014 ヒストリカルフィギュア伊達政宗(騎馬像)
商品番号 SA-0009 ヒストリカルフィギュア真田幸村(騎馬像)
▼本ケースお買求めの方全員にプレゼント!
「道明寺 誉田の戦い」 年号入り立札 49ミリ×29ミリ(奥行16ミリ)
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
[アクリルケース仕様]
販売価格:12,000円(税別)
サイズ外寸: 幅 351×奥行 156 ×高さ 213 (約mm)
ケース板厚 3mm /色 クリアー /台板厚さ8 mm
付属品: 道明寺誉田の戦い 立札1ケ
日本製
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
〜お届け〜 ご注文確定より、3~4日程でお届け致します。
〜お支払い方法〜
・郵便振込 (ポイント4%) *お振込期限:ご購入より2週間
・銀行振込 (ポイント4%) *お振込期限:ご購入より2週間
・コンビニ決済 (ポイント3%) *払込用紙(郵送)到着後、7日間以内にお手続きください。
・クレジットカード決済 (ポイント2%)
※ポイントの付与には、会員登録をお願いいたします。
※詳細はTOPページ下のご利用ガイドをご覧ください。
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
~ 伊達政宗 VS 真田幸村、戦国最後を飾る決戦に挑む ~
東軍、鋭く時流を読む奥州の伊達政宗 VS 西軍、豊臣に命を懸けた真田幸村!
丸裸にされた大坂城では籠城できず! 西軍、起死回生の野外戦へ!
慶長20年(1615年)
徳川軍 河内方面、大和方面、紀伊方面より大坂城に迫る。
大和方面軍 先鋒大将・水野勝成、総大将・松平忠輝、後見役・伊達政宗など、総勢34,300。
5月1日、豊臣軍、後藤基次らの前隊、毛利勝永、真田幸村ら後隊12,000人が大坂城を出発。
5月5日、河内国平野で宿営した後藤、毛利、真田らは、同日夜半に出発し、道明寺村付近に集結、
夜明けとともに徳川軍を迎え撃つと決める。
5月6日午前0時、後藤基次隊は平野を出立し、藤井寺を経て夜明け前に道明寺に到着。
他の部隊が濃霧などで遅れ到着せず、その情報を受け取ることができなかった為に作戦が破綻したものと判断、
後藤隊は夜明けとともに2,800の兵を率いて20,000以上の伊達政宗、松平忠明らが率いる徳川軍を相手に
単独で挑んだ。8時間にも渡る激闘の末に討死、後藤基次討ち死に、後藤隊も壊滅した。

午後、濃霧によって遅れていた毛利勝永が道明寺に到着、真田幸村隊も誉田村付近に着陣した。
伊達軍先鋒の片倉重長は、真田勢を見るとこれに攻め寄せた。
片倉は左右に鉄砲隊を展開させて攻撃、これに対し真田勢も鉄砲で応戦しつつ、兵を伏せ片倉勢の接近を
待って迎え撃った。真田勢の戦いはすさまじく、伊達勢を道明寺辺りまで押し込み藤井寺まで後退させる。
徳川軍は道明寺から誉田で陣を建て直し、豊臣軍は藤井寺から誉田の西にかけて布陣、
両軍にらみ合いの状態となった。
午後2時半頃、大坂城から同日に起こった八尾・若江の敗報と、退却の命が豊臣軍に伝えられ、真田を殿軍とし
天王寺方面へ撤退を開始、徳川軍は兵の疲弊を理由に追撃を行わなかった。
それを見た真田幸村は、「関東勢百万も候へど、男は一人もいなく候」 “関東の兵は数多くいるが、男と呼べる
人物は一人もおらぬ!” と言い放ったといいます。

----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ---------- ----- ----- -----
※画像はイメージです。
Copyright(C) 2016 KENSIN Co., Ltd.
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
道明寺・誉田の戦いを再現して飾る 専用ケースと立札
『大坂夏の陣』における道明寺・誉田の戦いを再現し、伊達・真田をセットで展示できる専用ケースです。
▼≪対象製品≫ こちら2製品を飾る、専用ケースです。 ※製品は別途お求めください。
商品番号 SA-0014 ヒストリカルフィギュア伊達政宗(騎馬像)
商品番号 SA-0009 ヒストリカルフィギュア真田幸村(騎馬像)
▼本ケースお買求めの方全員にプレゼント!

「道明寺 誉田の戦い」 年号入り立札 49ミリ×29ミリ(奥行16ミリ)
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
[アクリルケース仕様]
販売価格:12,000円(税別)
サイズ外寸: 幅 351×奥行 156 ×高さ 213 (約mm)
ケース板厚 3mm /色 クリアー /台板厚さ8 mm
付属品: 道明寺誉田の戦い 立札1ケ
日本製
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
〜お届け〜 ご注文確定より、3~4日程でお届け致します。
〜お支払い方法〜
・郵便振込 (ポイント4%) *お振込期限:ご購入より2週間
・銀行振込 (ポイント4%) *お振込期限:ご購入より2週間
・コンビニ決済 (ポイント3%) *払込用紙(郵送)到着後、7日間以内にお手続きください。
・クレジットカード決済 (ポイント2%)
※ポイントの付与には、会員登録をお願いいたします。
※詳細はTOPページ下のご利用ガイドをご覧ください。
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
~ 伊達政宗 VS 真田幸村、戦国最後を飾る決戦に挑む ~
東軍、鋭く時流を読む奥州の伊達政宗 VS 西軍、豊臣に命を懸けた真田幸村!

丸裸にされた大坂城では籠城できず! 西軍、起死回生の野外戦へ!
慶長20年(1615年)
徳川軍 河内方面、大和方面、紀伊方面より大坂城に迫る。
大和方面軍 先鋒大将・水野勝成、総大将・松平忠輝、後見役・伊達政宗など、総勢34,300。
5月1日、豊臣軍、後藤基次らの前隊、毛利勝永、真田幸村ら後隊12,000人が大坂城を出発。
5月5日、河内国平野で宿営した後藤、毛利、真田らは、同日夜半に出発し、道明寺村付近に集結、
夜明けとともに徳川軍を迎え撃つと決める。
5月6日午前0時、後藤基次隊は平野を出立し、藤井寺を経て夜明け前に道明寺に到着。
他の部隊が濃霧などで遅れ到着せず、その情報を受け取ることができなかった為に作戦が破綻したものと判断、
後藤隊は夜明けとともに2,800の兵を率いて20,000以上の伊達政宗、松平忠明らが率いる徳川軍を相手に
単独で挑んだ。8時間にも渡る激闘の末に討死、後藤基次討ち死に、後藤隊も壊滅した。

午後、濃霧によって遅れていた毛利勝永が道明寺に到着、真田幸村隊も誉田村付近に着陣した。
伊達軍先鋒の片倉重長は、真田勢を見るとこれに攻め寄せた。
片倉は左右に鉄砲隊を展開させて攻撃、これに対し真田勢も鉄砲で応戦しつつ、兵を伏せ片倉勢の接近を
待って迎え撃った。真田勢の戦いはすさまじく、伊達勢を道明寺辺りまで押し込み藤井寺まで後退させる。
徳川軍は道明寺から誉田で陣を建て直し、豊臣軍は藤井寺から誉田の西にかけて布陣、
両軍にらみ合いの状態となった。
午後2時半頃、大坂城から同日に起こった八尾・若江の敗報と、退却の命が豊臣軍に伝えられ、真田を殿軍とし
天王寺方面へ撤退を開始、徳川軍は兵の疲弊を理由に追撃を行わなかった。
それを見た真田幸村は、「関東勢百万も候へど、男は一人もいなく候」 “関東の兵は数多くいるが、男と呼べる
人物は一人もおらぬ!” と言い放ったといいます。

----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ---------- ----- ----- -----
※画像はイメージです。
Copyright(C) 2016 KENSIN Co., Ltd.